作戦会議からミライフ会議へ

――三輪ミライフ会議、これまでの歩み

作戦会議が始まる、その前に

三輪ミライフ会議の歩みを、2023年に始まった「作戦会議」から書き始めると、大切なことが抜け落ちます。三輪のまちづくりは、そこから始まったわけではありません。三輪では、それ以前から、さまざまな人や組織が、それぞれの場所で、このまちのこれからを考え、動いていました。

2005年には、三輪から桜井・奈良のまちづくりを発信しようとする市民団体「NPO法人三輪座」が発足しています。
2010年には、奈良県の「一市一まちづくり」のモデル地区に採択され、県・市・地元による「三輪まちづくり会議」が始まりました。その後も、参道部会、地域コミュニティ部会、デザイン検討部会など、さまざまな形で話し合いが重ねられていきます。市役所へのヒアリングでも、2010年から2015年までに「三輪まちづくり会議」が10回ほど開かれたことが確認されています。
2014年には奈良県と桜井市がまちづくりに関する包括協定を結び、翌2015年には「大神神社参道周辺地区まちづくり基本構想」が策定されました。
そして2018年、「大神神社参道周辺地区まちづくり協議会」が発足します。その下には、参道沿いの商業施設を考える部会だけでなく、参道の賑わいをまちなかへ取り込み、まちなかそのものにも新しい賑わいをつくるための「まちなか活性化部会」が設けられました。
そこから2019年に始まったのが、「三輪まちなかつば市」です。

さらに、このまちづくりの流れから、実際に事業を担う法人として、2020年9月、「三輪まちづくり法人 株式会社リアライズ」が設立されました。リアライズ自身へのヒアリングでも、まちづくり協議会で検討されていた構想の事業主体となることを期待されて会社が設立された経緯が語られています。

一方では、味酒三輪の会などを通じて、三輪の歴史や文化、酒、商い、人のつながりを生かしながら、このまちをもっと面白くできないかという活動も続いていました。後の三輪ことぶれ屋につながる考えも、すでにこのころには形を取り始めていました。

それぞれが同じ考えで動いていたわけでも、一つの組織にまとまっていたわけでもありません。
行政には行政の取り組みがあり、地域組織には地域組織の動きがあり、事業者には事業者の挑戦があり、個人にも「こんな三輪になったら面白い」という思いがありました。

それぞれが、それぞれの場所で、三輪の土を耕していたのです。

2022年――三輪駅に、もう一つの流れが加わる

そこへ加わった新しい流れが、ジェイアール西日本コンサルタンツの「さこすて®」でした。
ローカル線の古い駅舎を、単に小さくしたりなくしたりするのではなく、地域とともに持続可能な駅のあり方を考えられないか。そんな問題意識から始まったさこすて®は、赤穂線坂越駅での実証実験を経て、2022年度、新たな実証の場として三輪駅を選びました。

三輪が選ばれた理由は、「はじまりの地」として歴史や伝統産業などの地域資源が豊富だったことだけではありません。後のヒアリングで、担当者は、「地域住民の活動が活発だという点が決め手となった」と振り返っています。
事業の趣旨を理解して「一緒にやろう」と応じる人がいる。JR側の事情も理解し、「自分たちのまちだから自分たちで」という意識が強い。そんな地域だったことが、三輪を選ぶ大きな理由になりました。

つまり、何もないところへ、さこすて®がまちづくりを持ってきたのではありません。すでにいくつもの動きがあった三輪へ、駅を使って地域の未来を考えるという、もう一つの流れが加わったのです。

2023年――別々の流れが、一つの場へ

2022年の大晦日から元日にかけて、さこすて®は三輪駅で独自のイベントを行いました。地域の人たちがそれを見たことが、その後の地域との接点の一つになります。

そして2023年2月16日、さこすて®と地域住民との最初の顔合わせ・説明会が開かれました。
最初は、ダイヤや駅舎の改善など、JRへの要望も出ました。しかし同時に、地元側から、
「自分たちの地域を、自分たちで何とかしようという意識がなければ、行政頼み、他人頼みでは、まちづくりはうまくいかない」
という趣旨の意見も出ました。それまで別々の場所で動いていた人たちが、三輪駅という一つの場所を前にして、
「ここで、何かやってみよう」
と集まり始めます。

さこすて®みわ、三輪まちづくり法人リアライズ、三輪まちなかつば市、子育て支援に関わる人、地域でさまざまな活動をしていた人。それぞれの所属を越えて集まる場ができました。
これが、私たちが「作戦会議」と呼ぶようになった集まりです。

組織をつくるより、やってみる

作戦会議は、既存の団体を統合して、新しい大きな組織をつくろうとしたものではありません。それぞれの所属は、そのままです。
必要なときに集まって、
「こんなんできたら面白いやろなあ」
と話す。面白ければ、
「それ、やってみよう」
となる。

当初は、既存のまちづくり協議会とも協力関係を保ちながら進もうとしました。一方で、役職や所属によって人が集まり、組織として合意をつくってから動くというやり方とは、次第に一線を画すようになっていきます。

後のリアライズへのヒアリングでも、行政が主導する会議では各団体の代表者などが「充て職」で集まりやすく、自由で建設的な意見が出にくいこと、住民自身が地域を考え、そこを行政が支援する形が望ましいという考えが語られています。

作戦会議が大切にしたのは、誰が偉いかではなく、誰がやるか。
そして、できるかどうかを会議で決める前に、できる大きさにして一度やってみる。
そんなやり方でした。
2023年3月の記録にも、「自らやります」と手を挙げる人を生かし、目的に応じて人が集まり、自由に意見を交わしながら実践することの大切さが、すでに書かれています。

2023年11月――種を蒔く

大きな転機となったのが、2023年11月26日の「三輪まちなかつば市」でした。
この年、三輪駅を新たな会場の一つとして使い、さこすて®みわと一緒に、いろいろなことを試してみることになりました。目的は、一日のイベントを盛大に開催することだけではありませんでした。
当時の企画書には、

「一過性の行事ではなく、今後のまちづくりにつながる企画を形にし、地域の財産として残す」

と書かれています。

駅の臨時券売所をクラフトビールのタップルームにしてみる。
三輪の新酒を楽しむ祭をやってみる。
三輪駅から出発して、文学をたどりながらまちなかを歩いてもらう。
まちの店を一枚の食べ歩き地図でつないでみる。
その先には、上街道、山の辺の道、三輪そうめん街道など、駅を起点に三輪の中を歩いてもらうさまざまな構想も描いていました。

完成した事業を並べたのではありません。「もし、こんなことをやったら?」を、実際の三輪で試してみたのです。

この日、私たちは三輪の未来に、いくつもの種を蒔きました。そして、そのいくつかから、本当に芽が出始めます。

2024年――芽を育てる場所ができる

2023年の三輪駅での実験から生まれた大きな芽の一つが、「三輪駅縁結び広場」でした。
一日だけではなく、駅での取り組みを続けてみよう。そうして2024年、三輪駅と駅前広場を使った月例の実証実験が始まりました。

三輪駅縁結び広場は、毎月同じことを繰り返すイベントではありません。その都度、
「今度は何をやってみよう」
と考える。
食べること。飲むこと。音楽。農業。子どもの遊び。文化。鉄道。まち歩き。毎回違う企画を持ち込み、駅という場所で試してみる。

三輪駅縁結び広場そのものが、月に一度開く「まちづくりの実験場」になっていきました。

リアライズも、この広場を「実行委員みんなで作る実験場」と捉え、ここで実験と検証を繰り返しながら、まちの構想のひな型をつくっていきたいと語っています。

月例の広場が、作戦会議を育てる

月に一度、違うことをやろうとすると、そのたびに相談しなければなりません。
「次は何をしよう」
「誰に声をかけよう」
「前にやったあれ、もう少し育てられへんかな」
「こんなんも面白いんちゃう?」
自然と、作戦会議をする機会が増えていきました。

すると、駅イベントの相談をするために集まっていたはずの場から、駅イベントだけには収まらない新しいアイデアが、次々と生まれるようになります。
一度試したことを振り返る。
面白かったものをもう一度やってみる。
誰かが持ってきた新しい妄想を聞く。
人と人をつなぐ。
別々だったアイデアをつなぐ。
そして、またやってみる。

月例の広場が、頻繁な作戦会議を生み、作戦会議が、蒔いた種から出た芽を育てる。
そんな循環が少しずつできていきました。

芽は、それぞれ違う育ち方をした

2023年に蒔いた種は、どれも同じように育ったわけではありません。
三輪駅での一日の実験は、月例の「三輪駅縁結び広場」へ。
一日だけだった新酒まつりは、その後、期間を広げ、さらに年4回の取り組みへ。
文学まち歩きスタンプラリーには、最初の「松の馬場・上街道コース」に加えて、「海石榴市・山の辺コース」が生まれ、二つのコースになりました。
駅の臨時券売所をタップルームにしてクラフトビールを飲んでみよう、という実験からは、やがて三輪の名を冠した「三輪惠美酒」が生まれ、その先には「いつか三輪にブリュワリーを」という次の「もし?」が見えています。

頻度が増えたもの。
期間が延びたもの。
種類が増えたもの。
新しい商品につながったもの。
そして、まだ土の中で眠っているもの。

蒔いた種のすべてが芽を出したわけではありません。すぐに芽を出したもの、何年かかけて育ったもの、思いがけない方向へ枝を伸ばしたもの。そして、まだ土の中で眠っているものもあります。

外と内が、役割を変えていく

作戦会議を続けるうちに、さこすて®みわとの関係も変わっていきました。
最初は、さこすて®が三輪駅を実証の場として選び、地域へ働きかけるところから始まりました。しかし、共同で取り組みを重ねるうちに、会議やイベントの企画は地元側が主体となり、さこすて®側は、そこへ「呼んでもらう」形になっていったと担当者は振り返っています。

外から来た人が地域を変えるのでもない。
地域だけですべてを抱え込むのでもない。
外から来た人が持つ知恵や技術、ネットワークと、地域に暮らす人が持つ知恵や人のつながりを持ち寄って、一緒に試してみる。

しかも、取り組みが育つにつれて、地域側が少しずつ主役になっていく。それが、三輪におけるさこすて®と作戦会議の関係になっていきました。

一つの「実り」――関西まちづくり賞

こうして続けてきた取り組みは、2025年度、日本都市計画学会関西支部の「関西まちづくり賞」を受賞しました。

受賞者は、
ジェイアール西日本コンサルタンツ株式会社 さこすて®、
三輪まちづくり法人 株式会社リアライズ、
そして、三輪駅地域作戦会議

私たちがいつも、「そろそろ作戦会議しようか」と集まっていた、その「作戦会議」の名前が受賞者として並びました。

けれども、賞をいただくことが、この活動の目的だったわけではありません。
種を蒔く。
芽が出たら育てる。
うまくいかなければ、また考える。
そこから、次の「もし?」が生まれる。
その繰り返しの途中でいただいた、一つの「実り」だったのだと思います。

作戦会議から、三輪ミライフ会議へ

もともと、私たちはこの集まりを「作戦会議」と呼んでいました。一方、リアライズでは「ミライフプロジェクト」という名前が使われていました。

「ミライフ」は、

未来。
ライフ――暮らし。
そして、if――もし。

三輪の未来を、ここで営まれる暮らしから考える。そして、「もし、こんなことができたら?」から始める。
そんな意味を込めて、この集まりにも「三輪ミライフ会議」という名前が付くようになりました。

もっとも、今でも私たちの間では、「そろそろ作戦会議しようか」の方が通りがいいかもしれません。
名前が先にあって、活動が始まったのではありません。いろいろな人が集まり、妄想し、試し、失敗し、また集まり、少しずつ何かを育てているうちに、そこに後から名前が付きました。

「もし?」は、未来に蒔く種

振り返ってみれば、三輪ミライフ会議がやってきたことは、とても単純なのかもしれません。
三輪にすでにあるものを見る。
「こんなんできたら面白いやろなあ」と妄想する。
面白そうなら、人をつなぐ。
できる大きさまで小さくして、一度やってみる。
うまくいけば育てる。
うまくいかなければ、また考える。

やってみないと、次の「もし?」は見えてきません。
誰かが「もし?」と言う。
みんなで面白がる。
できる大きさにして、やってみる。
そこから、また次の「もし?」が生まれる。

「もし?」は、未来に蒔く種です。
三輪ミライフ会議は、そんなことを繰り返しながら、ここまで歩いてきました。