三輪文学アーカイブ

― 三輪をめぐることばの記憶 ―

三輪は、古くから多くの人によって語られてきました。
神話や史書、和歌、物語、紀行、俳句、随筆、芸能――。
そこに描かれているのは、神の坐す三輪山だけではありません。市場があり、宿があり、人が行き交い、酒を酌み交わし、日々の暮らしを営んできた三輪の姿です。

「三輪文学アーカイブ」では、三輪にまつわることばを集め、次の時代へ伝えていきます。

三輪をめぐることば

三輪について書かれてきたことばを、 時代・テーマ・場所からたどることができます。

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記紀・万葉

1 『古事記』少彦名

『古事記』

大己貴命の前に現れた、小さな神・少彦名命。 蔓芋の鞘の船に乗り、蛾の皮をまとって海の彼方からやって来ます。 のちに大己貴命とともに国づくりを進めます。

記紀・万葉

2 『古事記』大穴牟遲と少名毘古那の国作り

『古事記』

大穴牟遲命と少名毘古那命は力を合わせて国づくりを進めます。 しかし、その途中で少名毘古那命は常世の国へ渡ってしまいます。

記紀・万葉

3 『古事記』久延彦

『古事記』

少名毘古那命が何者なのかを言い当てた久延毘古。 山田の案山子の神で、歩くことはできなくても、 天下のことをことごとく知る「知恵の神」とされています。

記紀・万葉

4 『古事記』和魂大物主

『古事記』『日本書紀』

少名毘古那命が去った後、大国主神の前に海を光らせて神が現れます。 『古事記』では倭の青垣の東の山に祀るよう告げ、 『日本書紀』では大己貴神の幸魂奇魂として三諸山に鎮まります。

記紀・万葉

5 『出雲国造神賀詞』

『出雲国造神賀詞』

大穴持命の和魂を「倭大物主櫛𤭖魂命」と称え、 大御和の神奈備に鎮めたことを伝える祝詞です。

記紀・万葉

6 『鎮魂詞(いのりのことば)』

鎮魂詞

幸魂奇魂守給へ幸給へ

幸魂・奇魂に、守りと幸いを祈ることばです。

記紀・万葉

7 『古事記』丹塗り矢伝説

『古事記』

美和の大物主神が丹塗り矢となって勢夜陀多良比売のもとへ現れ、 二人の間に比売多多良伊須気余理比売が生まれます。 のちに神武天皇の皇后となる女性の出生を語る物語です。

記紀・万葉

8 神武天皇『日本書紀』歌碑

『日本書紀』/山辺の道

葦原のしけしき小屋に菅畳
いやさや敷きてわが二人寝し

神武天皇が、皇后伊須気余理比売と狭井川のほとりで 初めて一夜を過ごしたことを回想した歌です。

記紀・万葉

9 『古事記』苧環伝説

『古事記』

活玉依毘売のもとへ夜ごと通う美しい男。 衣に糸を付けてその行方を追うと、糸は美和山の神の社へと続いていました。 「三輪」の地名由来としても語られる物語です。

記紀・万葉

10 『日本書紀』箸墓伝説

『日本書紀』

大物主神の妻となった倭迹々日百襲姫命。 夜にしか姿を見せない夫の正体を見ようとしたことから悲劇が起こり、 百襲姫は大市に葬られます。 これが箸墓と呼ばれるようになったと『日本書紀』は伝えます。

記紀・万葉

11 『日本書紀』天照大神と倭大国魂神

『日本書紀』

崇神天皇の御代、それまで宮中で祀られていた 天照大神と倭大国魂神を外でお祀りすることになりました。 伊勢神宮と大和神社の始まりを伝える記述です。

記紀・万葉

12 高橋活日『日本書紀』歌碑

『日本書紀』/大神神社祈祷殿斎庭

この神酒は 我が神酒ならず
倭なす 大物主の 醸みし神酒
幾久 幾久

掌酒の高橋活日は一夜にして酒を醸し、崇神天皇に献上しました。 大物主大神の醸された神酒として、 天皇の幾久しき健康を祝った歌です。

記紀・万葉

13 『六月晦大祓祝詞』

大祓詞/綱越神社おんぱら祭

高天原に耳振り立てて聞く物と馬牽き立て、

綱越神社のおんぱら祭では、大祓詞が奏上される中、 神馬が社殿を巡ります。 罪穢れを託した藁苞は三輪のまちを通り、 初瀬川へと運ばれます。

記紀・万葉

14 倭建命『古事記』

『古事記』

倭は国のまほろば
たたなづく青垣
山隠れる倭しうるはし

倭建命が三重の能褒野で亡くなる間際に、 故郷の三輪山麓の美しさを詠んだ国偲び歌です。

記紀・万葉

15 武烈天皇『日本書紀』

『日本書紀』/海石榴市

琴頭に来居る影媛
玉ならば我が欲る玉の鮑白玉

海石榴市で影媛に言い寄った武烈天皇。 影媛が平群鮪と通じていると知ったことから、 物語は平城山へと続いていきます。

記紀・万葉

16 額田王『万葉集』歌碑

『万葉集』/芝運動公園

三輪山をしかも隠すか
雲だにもこころあらなむ
隠くさふべしや

額田王が志賀の都へ移るとき、 最後に心に残しておきたいと願ったのが、 美しい三輪山の姿でした。

記紀・万葉

17 仏教公伝『上宮聖徳法王帝説』

『上宮聖徳法王帝説』/金屋初瀬河畔

百済の聖明王から仏像・経典・僧らが朝廷へ贈られたことを伝えます。 金屋の初瀬川畔には「佛教公傳之地」の石碑が建ち、 日本が仏教と縁を結んだ地として伝えられています。

近世

18 林羅山『本朝神社考』― 秦河勝伝説

林羅山『本朝神社考』

初瀬川が大洪水となったとき、大きな甕が流れてきて 三輪明神の前で止まりました。 土地の人が甕を開くと、玉のような男の子が入っていた――。 秦河勝の出生を語る伝説です。

記紀・万葉

19 詠み人知らず『万葉集』― 海石榴市

『万葉集』/金屋 海石榴市観音の辻

紫は灰指すものぞ海石榴市の
八十のちまたに逢へる子や誰

人々が行き交った海石榴市で交わされた相聞歌。 紫と灰を男女になぞらえ、 出会った女性に名を尋ねる歌です。

記紀・万葉

20 詠み人知らず『万葉集』― 磯城島

『万葉集』/金屋 磯城の宮境内

磯城島の日本の国に
人二人ありとし思はば
何か嘆かむ

あなたという人が二人いてくれたなら、 何を嘆くことがあるだろう。 大切な一人への思いを詠んだ歌です。

記紀・万葉

21 詠み人知らず『万葉集』― 三輪川

『万葉集』/金屋 初瀬河畔

夕さらばかはず鳴くなる三輪川の
清き瀬の音を聞かくし良しも

夕方になると蛙が鳴く三輪川。 その清らかな瀬の音を聞く心地よさを詠んだ歌です。

記紀・万葉

22 詠み人知らず『万葉集』― 三輪山

『万葉集』

三輪山の山下響み行く水の
水脈し絶えずは後も我が妻

三輪山の麓を響かせて流れる水のように、 絶えることなく続く男女の思いを詠んだ歌です。

記紀・万葉

23 『日本書紀』― 隋使を海石榴市に迎える

『日本書紀』推古天皇十六年八月条

隋からやって来た裴世清一行を迎えるため、 飾馬七十五匹を仕立てて海石榴市の衢に迎えたことが 『日本書紀』に記されています。

記紀・万葉

24 三輪朝臣高市麻呂『万葉集』

『万葉集』

三諸の神の帯ばせる泊瀬川
水脈し絶えずは我忘れめや

三輪山の神が帯となさっている泊瀬川。 その流れが絶えないかぎり、ふるさとや人々を忘れないと詠みます。 高市麻呂は大田田根子の子孫です。

記紀・万葉

25 詠み人知らず『万葉集』― 三諸山

『万葉集』/井寺池畔

三諸は人の守る山
本辺はあしび花咲き
末辺は椿花咲く
うらぐはし山ぞ泣く児守る山

麓には馬酔木、山の上には椿が咲く。 人々が守る美しい三諸山の姿を詠んだ歌です。

記紀・万葉

26 柿本人麻呂『万葉集』

『万葉集』

味酒の三諸の山に立つ月の
見が欲し君が馬の音そする

三諸山に昇る月のように、 会いたい人を待つ思いを詠んだ歌です。

記紀・万葉

27 長屋王『万葉集』歌碑

『万葉集』/大神神社祈祷殿斎庭

うま酒三輪の祝の山てらす
秋のもみじの散らまく惜しも

三輪の神を祀る山を照らす秋の紅葉。 その美しい紅葉が散ってしまうことを惜しんだ歌です。

記紀・万葉

28 『日本書紀』― 泊瀬川での誓い

『日本書紀』敏達天皇十年

蝦夷の首領者綾糟らが泊瀬川の中流で水に禊ぎ、 三諸岳に向かって、子孫に至るまで朝廷に仕えることを誓ったと記されています。

記紀・万葉

29 丹波大女娘子『万葉集』

『万葉集』

味酒を三輪の祝が斎ふ杉
手触れし罪か君に逢ひかたき

三輪の神職が大切に祀る杉に触れてしまった罪なのか。 愛しい人になかなか会えない思いを、三輪の神杉に重ねた歌です。

近世

30 神代文字

『大和名所図会』ほか

一の鳥居の扁額に記されていた、文字のようなもの。 江戸時代の『大和名所図会』にも記録されていますが、 その意味も由来も謎のままです。

平安

31 『年中行事秘抄』― 阿知女作法

『年中行事秘抄』

あちめ おおお
三輪山に在り立てるちかさを
今栄へではいつか栄えむ

平安時代、宮中で行われた鎮魂の儀式で唱えられた 「阿知女作法」の一節。 三輪山の名が現れる、謎めいた神秘的なことばです。

平安

32 玄賓僧都

玄賓僧都(734―818)

三輪川のきよき流れにすすぎてし
衣の袖をまたはけがさじ

桓武・嵯峨天皇の信任を受けながら、 名利を嫌って三輪山の麓に隠棲した玄賓僧都。 三輪川の清流に、俗世を離れて生きる思いを重ねた歌です。

平安

33 『日本紀略』― 延長四年の大風

『日本紀略』/延長4年(926)

延長4年、大風によって長谷寺の山が崩れ、 海石榴市まで人家が流されたことが記されています。 社伝では、この災害を機に市場を三輪へ移し、 市神を遷して祀ったと伝えます。

平安

34 藤原道綱母『蜻蛉日記』― 椿市

『蜻蛉日記』/安和元年(968)・天禄2年(971)

長谷寺へ向かう途中、藤原道綱母は椿市に宿泊しました。 宿からは参詣する人、帰る人など、 さまざまな人々が行き交う様子が見えたと記しています。

平安

35 藤原実資『小右記』― 椿市

『小右記』正暦元年(990)九月

長谷寺参詣の途中、藤原実資は椿市で 御明や燈心、器などを買い求めています。 帰路にも椿市に立ち寄り、国守の用意した食事をとりました。

平安

36 清少納言『枕草子』

『枕草子』/1001年ごろ

市は、つば市。
山は、三輪の山をかし。

清少納言は「市」に椿市、「山」に三輪山を挙げ、 「やしろ」では杉の御社にも触れています。 長谷詣の人々が泊まる椿市も印象深く記されました。

平安

37 紫式部『源氏物語』「玉鬘」

『源氏物語』「玉鬘」/1008年ごろ

長谷詣のため椿市に宿を取った玉鬘。 同じく長谷寺へ向かっていた右近と、 その宿で偶然に再会します。 椿市が物語の大きな転機となる場面です。

平安

38 伊勢『古今和歌集』

『古今和歌集』巻第十五 恋歌五

三輪の山いかに待ち見む年経とも
たづぬる人もあらじと思へば

仲平朝臣との仲が離れがちになり、 父のいる大和へ向かうときに伊勢が贈った歌。 三輪山を背景に、訪ねてくれる人を待つ思いを詠みます。

平安

39 『今昔物語集』― 三輪朝臣高市麻呂

『今昔物語集』巻二十第四十一話

持統天皇に仕えた三輪朝臣高市麻呂を、 民を思う正直な人物として語る説話です。 高市麻呂の住まいは大和国城上郡の 「三輪と云ふ郷」にあったと記されています。

平安

40 藤原清輔『奥義抄』― 三輪明神

藤原清輔『奥義抄』/1144年

三輪明神には社殿がなく、祭の日には茅の輪を三つ作って 岡の上に置いて祀ったと記します。 里人が社を建てると烏が壊したため、 神の誓いを知って社を建てなくなったという話です。

平安

41 藤原隆信 ― 三輪の市

藤原隆信(1142―1205)

尋ねばやほのかに三輪の市に出でて
命に替ふるしるしありやと

商人に寄せて恋を詠んだ歌。 人や物が集まる「三輪の市」を、 命にも代えたい恋の成就を尋ねる場所として詠んでいます。

平安

42 詠み人知らず『古今和歌集』

『古今和歌集』/905年

わが庵は三輪の山もと恋しくは
訪らひ来ませ杉立てる門

私の庵は三輪山の麓にあります。 恋しく思うなら、杉の立つ門を目印に訪ねて来てください――。 後の謡曲「三輪」にも取り入れられた歌です。

平安

43 僧都範玄『千載和歌集』

『千載和歌集』/神楽「奇魂の舞」/1188年

杉が枝を霞こむれど三輪の山
神のしるしはかくれざりけり

杉の枝を霞が包んでも、 三輪山に現れる神のしるしは隠れることがない。 神楽に寄せて三輪の神を詠んだ歌です。

平安

44 『日本紀略』― 大神神社宝殿鳴動

『日本紀略』/長保2年(1000)

長保2年、大神神社の「宝殿」が鳴動したことを伝える記録です。 平安時代の史料に残された三輪明神の一記事です。

中世

45 謡曲「三輪」

謡曲「三輪」/1465年初演

思へば伊勢と三輪の神
一体分身の御事
今更何と磐座や

三輪山に隠棲する玄賓僧都のもとへ、 三輪の神が里女の姿で現れる謡曲です。 三輪の神話や杉、伊勢との関わりが物語の中に織り込まれています。

中世

46 世阿弥『風姿花伝』― 秦河勝

世阿弥『風姿花伝』/15世紀初め

泊瀬川の洪水で流れてきた壺が、 三輪の杉の鳥居のほとりで拾われます。 中にいた赤子こそ秦河勝であったという伝説を、 世阿弥は芸能の由来を語る中に記しました。

中世

47 『三十二番職人歌合』― 糖粽売

『三十二番職人歌合』/1494年

手ごとにぞ とるはしつかの 糖ちまき
花をもみわの 昼の休みに

「糖粽売」を題材にした歌に三輪が詠み込まれています。 中世の商いや食べ物を伝えることばとしても興味深い一首です。

中世

48 三条西公条『吉野詣記』

三条西公条『吉野詣記』/1553年

穴師川を渡って檜原、大御輪寺を訪ね、さらに三輪へ参詣。 神前では苔や草の上に座り、名物の「はしつか」と酒をすすめられています。 その後、海石榴市から長谷寺へ向かいました。

中世

49 『市祭文』― 三輪の市

伊勢崎市 木島家伝来『市祭文』/1593年

市を立てる由来を語る祭文に、 聖徳太子が「大和国三輪里」に市を興したとする伝承が残されています。 三輪の市の始まりを語る伝承が関東まで伝わっていたことを示します。

近世

50 『市場之祭文』― 三輪の市

旧大口村 武助伝来『市場之祭文』

日本で市を立て始めた由来として、 「昔大和の国」に三輪の市を立てたとする伝承を記した祭文です。 三輪を市の始まりとする記憶が遠く関東にも伝えられていました。

近世

51 三輪坐惠比須神社縁起

三輪坐惠比須神社縁起

往古より日本最初市場の神と崇め奉り

事代主命を「日本最初市場の神」として祀ることを伝える 三輪坐惠比須神社の縁起。 三輪の市とえびす信仰との結びつきを伝えています。

中世

52 恵比須神社本殿棟札 ―「惠美酒宮」

恵比須神社本殿棟札/1587年

惠美酒宮

「惠美酒」と書いて「ゑびす」と読ませた棟札。 元資料では「うま酒三輪」の意味を重ね、 美酒を恵むえびす神としたものではないかと考えています。

近世

53 熊沢蕃山『三輪物語』

熊沢蕃山『三輪物語』

八月十五夜、三輪の山本はものしづかにて

仲秋の名月の夜、三輪山麓に神主や社人らが集まり、 静かに語り合うという設定で書かれた思想書です。 三輪明神を篤く信仰した熊沢蕃山が著しました。

近世

54 沢庵和尚 ― 三輪の神杉

沢庵和尚

まふでくる人に心をすぐなれと
をしへなるらし三輪の神杉

沢庵和尚は紫衣事件以前に三輪の草庵に住み、 60首の歌を残したといいます。 三輪の神杉に、人の心のありようを重ねて詠んだ歌です。

近世

55 山口素堂『とくとくの句合』

山口素堂『とくとくの句合 三十六番』

至れりや杉をはなとも社とも

三輪の神には社がない。 「なきこそ神のかたちなりけれ」という三輪の信仰を踏まえ、 杉そのものを花とも社とも見る句です。

近世

56 『日本山海名物図会』― 大和三輪素麺

『日本山海名物図会』

細きこと糸の如く 白きこと雪の如し

三輪素麺を名物として紹介し、 細さは糸、白さは雪のようで、 他国の素麺の及ぶところではないと記しています。

近世

57 義太夫節『道行相合駕籠』― 三輪の茶屋

義太夫節『道行相合駕籠』/1709年

奈良の旅籠屋 三輪の茶屋

忠兵衛と梅川の道行に、 奈良の旅籠屋と並んで「三輪の茶屋」が登場します。 三輪が旅人の立ち寄る場所であったことを伝えることばです。

近世

58 近松半二『妹背山婦女庭訓』「杉酒屋の段」

近松半二『妹背山婦女庭訓』/1771年

大化の改新を下敷きに、三輪伝説を織り込んだ人形浄瑠璃。 杉酒屋の娘お三輪が登場し、 白と赤の糸を使う「願ひ糸」の話などが語られます。

近世

59 本居宣長『菅笠日記』― 三輪参詣

本居宣長『菅笠日記』/1772年

初瀬川を渡って三輪の里へ入り、松並木を通って大御輪寺、 そして大神神社へ参詣。 杉の大木や拝殿、神を祀る山の姿を記した後、 金屋へ抜けて初瀬へ向かっています。

近世

60 『大和名所図会』― 酒を三輪という

『大和名所図会』

酒を三輪といふ事
此神のつくりはじめ給ひしゆゑとぞ

酒のことを「三輪」というのは、 三輪の神が初めて酒を造られたからだと記しています。 三輪と酒との深い結びつきを伝える一文です。

近世

61 与謝蕪村 ― 三輪の田

与謝蕪村

三輪の田に頭巾着て居るかゞしかな

三輪の田に立つ、頭巾をかぶった案山子。 三輪山麓の田園風景を詠んだ一句です。

近世

62 俚謡 ― 三輪の馬場先

三輪に伝わる俚謡

三輪の馬場先掃はかいでもきれいな
茶屋の女が裾で掃く

馬場先の茶屋と、そこで働く女性を歌った俚謡。 参詣客を迎えた三輪のまちの賑わいを感じさせます。

近世

63 俚謡 ― 三輪の明神さん

三輪に伝わる俚謡

三輪の明神さんは七巻半よ
巻いてござるよ三輪山を

三輪明神と三輪山を歌った俚謡。 人々の暮らしの中で三輪の神がどのように親しまれていたかを伝えることばです。

近世

64 坂内直頼『三国伝来善光寺如来縁起』

坂内直頼『三国伝来善光寺如来縁起』/1859年

百済から日本へ仏像や経巻が伝えられた 仏教公伝の場面を語る善光寺縁起の一つ。 当時の内裏を「大和国山部郡斯皈嶋の金刺の宮」と記しています。

近世

65 伴林光平 ― 高田屋にて

伴林光平/1863年

御酒すゑて 我もいのらむ 山本の
杉のしるしは よしや見ずとも

天誅組の伴林光平らは追っ手を逃れ、 馬場先、一の鳥居前にあった高田屋に投宿しました。 そのときに詠まれた歌です。

近世

66 法念寺住職聞学 ― 三輪のおかげ踊り

法念寺住職聞学/幕末

三輪にも伊勢の御札が降り、 馬場崎などで老若男女が「おかげなり」と唱えながら 踊ったことを記しています。 幕末の三輪の熱気を伝える記録です。

近代

67 イザベラ・バード『日本紀行』

イザベラ・バード/1878年

京都から伊勢へ向かう途中、三輪で一泊。 宿の二階から大神神社へ続く松並木を眺め、 三輪では巡礼者を迎えることが重要な営みになっていると記しています。

近代

68 岡倉天心『奈良古社寺調査手録』

岡倉天心『奈良古社寺調査手録』

元ト三輪村大御輪寺ニアリ

聖林寺十一面観音像を調査し、 もとは三輪村の大御輪寺にあった仏像であることを記しています。 三輪山の神仏習合の歴史を伝える重要な記録です。

近代

69 照憲皇太后 ― 三輪の大神

照憲皇太后/1890年

影高き 杉のみどりの とこしへに
世をまもるらむ三輪の大神

高くそびえる杉の緑に、 とこしえに世を守る三輪の大神を重ねて詠んだ歌です。

近代

70 中里介山『大菩薩峠』「三輪の神杉の巻」

中里介山『大菩薩峠』/1915年

三輪のうま酒の古雅な味わいを語り、 大和には「神ながらの空気」が漂うと描きます。 山や川を通して、三輪・大和の風土を表現した作品です。

近代

71 会津八一『鹿鳴集』― 金屋の石仏

会津八一『鹿鳴集』/1940年/金屋の石仏歌碑

みみ しふ と ぬかづく ひと も
みわやま の この あきかぜ を
きかざらめ や も

金屋の石仏に額づく人と、 三輪山から吹く秋風を詠んだ歌です。 現在、金屋の石仏のそばに歌碑が建っています。

近代

72 堀辰雄 ― 三輪駅のあたり

堀辰雄/書簡

大和の山々の間を汽車がゆっくり走る風景を眺め、 三輪駅の附近では卵や饅頭、真綿などが売られていたと記しています。 当時の三輪駅前の様子が目に浮かぶような一節です。

近代

73 山本健吉『大和山河抄』

山本健吉『大和山河抄』

初瀬川を渡って三輪の町へ入ると、 川の土堤には檜皮が干されていました。 大神神社の屋根を葺く檜皮の話に触れながら、 三輪のまちから間近に眺める深緑の三輪山を描いています。

近代

74 大橋乙羽『千山万水』

大橋乙羽『千山万水』

三輪に入りて明神前の茶屋に憩ひ

三輪へ入り、明神前の茶屋で休んだ後、 車夫の案内で大神神社へ参詣。 杉木立が茂る神寂びた境内の様子を記しています。

近代

75 保田與重郎・棟方志功『炫火頌』

保田與重郎・棟方志功『炫火頌』

三輪山の中つ尾の上の夜目遠目
白きはけだし桜花かな

三輪山の桜や鎮女池を題材に、 三輪の風景をことばと造形によって表した作品です。

近代

76 水原秋櫻子 ― 三輪と海石榴市

水原秋櫻子

春過ぎていづこかのこる市の跡

紫雲英田を裾に敷き立つ三輪の神

古代の市の跡を訪ねるまなざしと、 紫雲英の田を裾に広げて立つ三輪山。 歴史と風景の二つの三輪を詠んでいます。

近代

77 高野素十 ― 三輪のうま酒

高野素十

めでたさの三輪のうま酒温めつ

「うま酒三輪」の伝統を背景に、 三輪の酒を温めるめでたさを詠んだ一句です。

近代

78 山口誓子 ― 三輪山

山口誓子

日盛の裾べの藪や三輪山

真夏の日差しの中、 三輪山の裾に広がる藪を捉えた一句。 神の山を、麓の具体的な風景から描いています。

近代

79 辻本好孝『和州祭礼記』― 布袋屋市

辻本好孝『和州祭礼記』/1944年

三輪には大きな商家があり、 なかでも布袋屋は初市の前日に出入りの商人を招いて宴会を開き、 その後「布袋屋市」を立てたと記します。 門前は雑穀を運ぶ馬で埋まったと伝えられています。

近代

80 和辻哲郎『古寺巡礼』― 十一面観音

和辻哲郎『古寺巡礼』

神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ

かつて三輪の大御輪寺に祀られていた 十一面観音像をめぐることばです。 三輪山の神仏習合が残した文化を考える資料でもあります。

現代

81 土門拳『古寺巡礼』― 十一面観音

土門拳『古寺巡礼』

それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた

かつて三輪の大御輪寺に祀られていた 聖林寺十一面観音像をめぐることばです。 仏像の姿に「神の威厳」を感じ取っています。

現代

82 白洲正子『十一面観音巡礼』

白洲正子『十一面観音巡礼』

世の中にこんな美しいものがあるのかと、
私はただ茫然とみとれていた

聖林寺十一面観音像を拝した白洲正子のことば。 もとは三輪の大御輪寺で守られてきた仏像です。

現代

83 前川佐美雄『大和』

前川佐美雄『大和』/檜原神社境内歌碑

春かすみいよゝ濃くなるまひるまの
何も見えねは大和と思へ

春霞が深まり、何も見えなくなる。 その霞の向こうに大和を感じ取る歌です。 檜原神社境内に歌碑があります。

近代

84 佐々木信綱 ― 三輪山

佐々木信綱

いにしへの天のかぐ山三輪の山
名ぐはし山霞む吾がまなかひに

天香具山と三輪山。 古代から名高い大和の山々が、 霞む眼前に広がる姿を詠んだ歌です。

現代

85 三島由紀夫『豊饒の海』

三島由紀夫『豊饒の海』

三島由紀夫の長編『豊饒の海』と三輪。 元資料では作品名が記録されています。 三輪に関する箇所は、今後さらに確認して収録します。

現代

86 三島由紀夫 ― 大神神社からの書簡

三島由紀夫/書簡/1966年

三島由紀夫は大神神社で過ごした時間について、 神域を「清明」の一語で表し、 生涯忘れられない思い出になったと書き残しています。

現代

87 井上靖『額田女王』― 三輪山との別れ

井上靖『額田女王』

大津への遷都に際して三輪山との別れを惜しんだ 額田王の万葉歌を、小説の中で描いた場面。 見えなくなるまで三輪山を眺めようとする思いが語られます。

現代

88 東山魁夷『唐招提寺への道』― 三輪山

東山魁夷『唐招提寺への道』

三輪山の姿に「日本人の美的感覚の原型」を感じ、 山そのものが神であるという三輪の信仰について語っています。 山の形と信仰を一つに捉えた三輪山論です。

現代

89 昭和天皇 ― 大和路

昭和60年歌会始/1985年/大神神社歌碑

遠つおやのしろしめしたる大和路の
歴史をしのびけふも旅ゆく

大和路を旅しながら、 遠い祖先の時代から続く歴史を偲んだ御製。 大神神社境内に歌碑があります。

現代

90 上皇后美智子 ― 狭井の鎮花祭

昭和50年歌会始/1975年/狭井神社参道歌碑

三輪の里狭井のわたりに今日もかも
花鎮めすと祭りてあらむ

三輪の里、狭井神社で行われる鎮花祭に 思いを寄せて詠まれた御歌です。

現代

91 入江相政 ― 三輪山

入江相政

神とます三輪山のみどりなつふかみ
いよゝ色濃くなりまさりつつ

夏が深まるにつれて濃くなる三輪山の緑。 その山に神が鎮まる姿を重ねて詠んだ歌です。

現代

92 釈迢空(折口信夫)― 大和の青垣

釈迢空(折口信夫)/衣掛杉右歌碑

やすらなるいきをつきたりおほ倭
山青がきに風わたる見ゆ

大和を取り囲む山の青垣に風が渡る。 その風景を前に、安らかな息をついた心を詠んだ歌です。

現代

93 入江泰吉『古色大和路』― 山の辺の道

入江泰吉『古色大和路』

平凡で鄙びた山村の野道を歩いていると、 ふと上古の時代へ引き込まれていくように感じる。 入江泰吉が山の辺の道に感じ取った時間と風景です。

現代

94 司馬遼太郎『街道をゆく 一』― 海石榴市

司馬遼太郎『街道をゆく 一』

三輪山を古代の神南備山として捉え、 山そのものを神体とする三輪信仰について語ります。 海石榴市を訪ねながら、三輪の古代信仰の世界へと目を向けています。

現代

95 阿波野青畝 ― 心念寺

阿波野青畝/心念寺本堂前句碑

浅くとも浄土の春の有難き

三輪の心念寺本堂前に残る阿波野青畝の句碑。 春の浄土を詠んだ一句です。

現代

96 阿波野青畝 ― 三輪山

阿波野青畝/大美和の杜句碑

月の山大国主命かな

月の下の三輪山に大国主命を重ねた一句。 阿波野青畝はほかにも、三輪山の姿や星月夜を詠んでいます。

現代

97 佐藤春夫 ― 海柘榴市

佐藤春夫/三輪惠比須神社境内句碑

海柘榴市の野路に飛び交ふ虫や何

古代の市場・海柘榴市を、 野路を飛び交う虫のいる風景の中に詠んだ句です。 三輪惠比須神社境内に句碑があります。

現代

98 有馬朗人 ― 海柘榴市

有馬朗人

海柘榴市の乙女のさげし若菜籠

海柘榴市を行き交ったであろう乙女と若菜籠。 古代の市場の人の姿を想像して詠んだ一句です。

現代

99 川端康成 ― 歌碑をめぐることば

川端康成/榊獏山による語録

日本武尊の国偲び歌の歌碑を建てる場所を訪ね、 井寺池畔に適地を見つけたときのことばが残されています。 子どもたちが碑に腰掛け、弁当を食べるような場所を望んだといいます。

現代

100 黛敏郎「三輪山讃歌」

黛敏郎「三輪山讃歌」

三輪山を古代人の魂の象徴として捉え、 現代の文化や芸術、音楽にとっても、 三輪山が大きな意味を持つと語っています。

現代

101 藤山寛美

藤山寛美

三輪に関わる資料として名前が記録されています。 内容・出典については、今後さらに確認して収録します。

現代

102 山中智恵子『みずかありなむ』

山中智恵子『みずかありなむ』

三輪山の背後より不可思議の月立てり
はじめに月と呼びしひとはや

三輪山の背後から昇る月を見て、 初めて月を「つき」と呼んだ人へと思いを遡らせる歌。 三輪山の風景から原初の世界へと想像が広がります。

現代

103 NHK連続ドラマ『ダイヤモンドの恋』

作・田渕久美子/出演・浅野温子、吉田栄作

三輪に関わる現代の映像作品として収録。 原資料では作品名、脚本、出演者が記録されています。

現代

104 松本隆 ― 幸魂奇魂

松本隆

「幸魂奇魂」ということばを、 三輪山の神から教わった聖なることばとして捉え、 現代に生きる私たちにとっての意味を語っています。

近代

105 無涯子 ― 三輪千戸

無涯子

一連の注連につながれ三輪千戸

三輪の家々が、一筋の注連縄によってつながっているように見える。 昔の三輪の町の注連縄の風景を伝える一句です。

近代

106 淡子 ― 三輪止まりの汽車

淡子

乗初の短き汽車は三輪止まり

新年の「乗初」に走る短い汽車は三輪止まり。 三輪駅と鉄道のある暮らしを残した一句です。

近代

107 英太 ― 三輪の古町

英太

秋晴や三輪の古町鍵の手に

鍵の手に曲がる三輪の古い町並みを詠んだ一句。 上街道が三輪の町を曲がりながら初瀬へ向かう、 まちの形そのものが残されています。

近代

108 緑夢 ― 三輪の市

緑夢

三輪で売る山鳥は初瀬猪は宇陀

初瀬の山鳥、宇陀の猪が三輪へ集まって売られる。 周辺地域から品物が集まる市場町としての三輪を伝える一句です。

近代

109 みき女 ― 三輪駅と月

みき女

三輪山に真向ふ駅の寒の月

三輪山と向き合う三輪駅、その上に寒の月。 駅と三輪山との位置関係を一景の中に収めた一句です。

近代

110 暁浦 ― 三輪の茶店

暁浦

猿曳の三輪の茶店に憩ひけり

猿曳きの芸人が三輪の茶店でひと休みする。 芸人がまちからまちへ巡っていた時代の、 三輪の茶店の一場面を残した一句です。

近代

111 倛子 ― 三輪の茶屋

倛子

草の餅三輪の茶屋とて憩ひけり

三輪の茶屋でひと休みし、草餅を味わう。 参詣や旅の途中に立ち寄った三輪の茶屋の姿を残す一句です。

近代

112 国栖子 ― 三輪の宿

国栖子

三輪の宿に分葱の酢和蜆汁

三輪の宿で出された、分葱の酢和えと蜆汁。 名物料理ではなく、宿の普段の食事が一句の中に残されています。

近代

113 唯秋 ― 機終い

唯秋

ぬくぬくの草餅くれし機終い

素麺づくりの仕事を終える「機終い」と、温かな草餅。 季節とともに営まれていた三輪の生業と暮らしを伝える一句です。

近代

114 茘枝 ― 大神の禰宜の家

茘枝

干瓢を干し大神の禰宜の家

大神神社の禰宜の家で干瓢を干している。 神社に仕える人の家にも日々の暮らしがあり、 その何気ない一景を残した一句です。

近代

115 貞子 ― 三輪詣で

貞子

三輪詣で帰りはみんな柿提げて

三輪へお参りした人たちが、 帰りにはそろって柿を提げている。 参詣と土産が一つになった三輪の風景を残す一句です。

現代

116 笑い飯 哲夫 ― 三輪山の稜線

笑い飯 哲夫/桜井市制施行70周年記念式典/2026年

子どもの頃から側にあった三輪山の山の稜線が好きなんです。

見る角度によって表情を変える三輪山。 子どもの頃からその姿を見て育ったことで、 自分の空間認識能力や想像力が鍛えられたのかもしれないと語っています。 三輪山が、そこに暮らす人の感性を育てる山でもあることを感じさせることばです。

現代

117 太鼓打 源五郎 ― 三輪山

太鼓打 源五郎/2026年

命のみなもと 魂のふるさと

三輪山を表すことばとして、 太鼓打 源五郎が掲げることば。 命を育む山であることと、人の魂が帰っていくような 根源の場所であることを、一つのことばに重ねています。