三輪のまちで面白いことを仕掛けるための拠り所、
三輪の「まち“を”遊ぶ」ための、仮想空間にある秘密基地です。
まちは生き物。そしてみんなが共有する財産。
だから、
・土地の記憶を掘り起こし、蓄えておく。
・種を見つけて育て、面白いことを企ててまちを遊ぶ。
・楽しみつつまちに新しい命を吹き込む。
そんなこんなで人がつながり、まちは楽しく元気になっていく。
ことぶれ屋という名前
ことぶれ屋――事を触れる
「ことぶれ」を現代風に言えば、広告や広報のようなもの。
三輪のまちの面白さを見つけ、それを人に伝える。そんな「まちの自己宣伝」も、ことぶれ屋の仕事です。
はじまりの屋号は、「三輪 ことぶれ屋源五郎」。
「ことぶれや げんごろう」と読みます。長いので「ことぶれ屋」。
さらに、紀伊國屋文左衛門が「紀文」なら、ことぶれ屋源五郎は「こと源」。
三輪のまちに昔からありそうな、ちょっと老舗めいた屋号を狙いました。
でも、宣伝するだけでは面白くありません。
面白そうなことを見つけたら、企てる。そして、自分たちでやってみる。
だから、
仕掛け事触れ よろづ取扱ひ〼
三輪ってどこ?どんなまち?
大和盆地の南東にそびえる秀麗な三輪山の麓、奈良県桜井市にあります。
日本の神話では、出雲の大国主命が、自らの幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である大物主大神を三輪山に祀ったとされています。
三輪山麓は、古代のヤマト王権が形づくられていった、日本の国のはじまりに深くかかわる地です。
大物主大神の鎮まる三輪山を仰ぐ日本最古の神社、大神神社の門前町として、
また、古代海石榴市(つばいち)の流れをくむ、三輪坐惠比須神社を中心とした市場町として、
さらに、上街道を通る長谷詣りや伊勢参宮の宿場町として、
三輪のまちは古来より、さまざまな顔をもちながら栄えてきました。
「まちもやい」って?
ことぶれ屋の原点は、三輪を舞台に「まち“を”遊ぶ」こと。
それを「まちもやい」と呼びました。
まちは有形無形の共有財産。みんなのものです。
だから、まちを楽しくするのは自分たち。
人が自発的につながり、それぞれの得意分野を生かす。
まちを面白くするネタで遊びつつ、まちがもっている価値に新たな息吹を吹き込む。
そんなふうにまちを盛り上げていく実践活動を、「まちもやい」と言うことにしました。
もやいとは
互いに労働や資材を出し合って一つの仕事をする共同労働。共同出資して船を造り共同出漁するモヤイ船、地曳網を経営し漁獲物を分配するモヤイ網、共同で狩りに出て獲物を平等分配するモヤイ狩など種類は多い。さらに共同労働だけでなく、共同施設や共有財産をモヤイということもある。何軒かの家で風呂桶を共同にするモヤイ風呂、共同で所有、耕作するモヤイ田、共有林のモヤイ山などがある。
まちづくりやまちおこしとは違うの?
目指すところは同じようなことなのですが、その方法が少し違います。
- 先に固まった組織を作るのではなく、やりたいことから始めます。
- まちのために何かやりたい人が、自らやり始めます。
- 行政や政治に「任せない」「頼らない」「ねだらない」。でも、必要なところでは協働します。
中世には「惣」と呼ばれる住民自治の仕組みがありました。
そこに見られる、自分たちのことを自分たちで考え、支え合う精神に学びたいと思っています。
ことぶれ屋は、そのときどき、ことごとに応じて人がつながり合い、「まち“を”遊ぶ」ための拠り所です。
まちづくりから、まちづかいへ
「まちを遊ぶ」ことから始まった三輪ことぶれ屋。
まちを歩いて面白いものを見つけたり、埋もれていた物語を掘り起こしたり、空いている場所を使ってみたり。
誰かの「こんなことをやってみたい」という一言から人がつながり、いろいろな仕掛け事が生まれてきました。
そんなことを繰り返すうちに、ひとつ気づいたことがあります。
まちは、新しく「つくる」だけのものではありません。
すでにそこにある場所を使う。
受け継がれてきたものを楽しむ。
忘れられていたものを見つけ直す。
人と人、人と場所を結び直す。
まちにあるものを面白がり、自分たちなりに使いこなしていくことで、まちはまた新しい表情を見せてくれます。
だから、三輪ことぶれ屋が大切にしているのは、
まちづくりから、まちづかいへ。
誰かにまちをつくってもらうのではなく、そこに暮らす人も、訪れる人も、それぞれのやり方でまちにかかわり、まちを使い、まちを楽しむ。
「まちを遊ぶ」という最初の思いは、そんな「まちづかい」へと広がってきました。
人のつながりは、まちの財産
そして、もうひとつ見えてきたことがあります。
何か面白いことを始めると、人が集まります。
誰かと誰かが知り合うと、また別の何かが始まります。
場所があるから人がつながることもあれば、人がつながったことで新しい場所の使い方が生まれることもあります。
一人ではできないことも、それぞれができることを少しずつ持ち寄れば、できることがあります。
まちにある建物や道、歴史や文化は大切な財産です。
でも、それと同じくらい、そこで生まれた人と人とのつながりも、まちに残っていく大切な財産だと考えています。
人のつながりは、まちの財産。
三輪ことぶれ屋は、何かをするためだけに人を集めるのではなく、いろいろな仕掛け事を楽しむ中で人が出会い、そのつながりから、また次の何かが生まれていくことを大切にしています。
かつて「まちもやい」と呼んだものは、今もそんな形で続いています。
そして、ことぶれ屋はいま
「まちを遊ぶ」ことを重ねるうちに、いろいろな仕掛けや人のつながりが生まれ、それぞれが少しずつ形をもつようになりました。
三輪のまちを知り、訪れた人を案内するところから、三輪いろはが、
宿や食、体験をつなぎ、まちに泊まり、暮らすように過ごしてもらうところから、三輪まちやど協会が、
まちそのものを博物館に見立て、三輪の暮らしや歴史を調べ、記録し、学び、伝えるところから、たにぐく堂が、
空き家や空き店舗と、三輪で何かを始めたい人を結び、小さな商いの種を育てるところから、三輪栄町かえしばが、
三輪に伝わる唄や太鼓、祭りや祝いの文化を、自分たちも楽しみながら次へつないでいくところから、里唄 三輪社中が、
そして、「ちょっと手伝おうか」「それなら私も」と、それぞれのできることでゆるやかにまちに関わる人たちをつなぐ、三輪ゆるボラネットが生まれました。
どれも、最初に組織をつくって始めたものではありません。
まちにあるものを面白がり、誰かの「やってみたい」から人がつながり、必要な仕組みがあとから形になってきたものです。
それぞれは別々の活動のように見えて、根っこではつながっています。
まちを遊ぶ。
まちをつかう。
人がつながる。
三輪ことぶれ屋は、これからも三輪のまちを舞台に、そんな仕掛けを企てていきます。
