第14話 三輪時丸(みわのときまる)

むかし、大和の国の三輪の里に時丸という若者がいました。家はお金持ちでしたが、時丸は子供のころからの気ままなくらしのむくいを受けたのか、若くしてやまいにかかり、そのまま死んでしまいました。父母は深くなげきかなしみました。

じごくにおちた時丸は、閻魔さまのさばきを受けることになります。ところがそのとき、時丸の足もとが金色に光りかがやきました。閻魔さまが確かめると、足の裏に「善光寺の御印文」が光っていたのです。閻魔さまは「お前は、生きていたとき善光寺にお参りしたか」とたずねました。時丸には覚えがありませんでしたが、母親の話を思い出し「母が越後の祖母をたずねたおり、おなかにわたしをやどしていて、善光寺で安産の祈願をしたということです」と答えました。閻魔さまはおどろいて「仏さまのご加護がある者をじごくにおとすことはできない」と時丸をこの世にもどすことにしました。

生き返った時丸を見た父母はなみだを流してよろこび、一家三人で善光寺にお礼のお参りをしました。そののち、時丸は信濃にとどまり、仏法を広めるためにお坊さんになりました。善光寺東之門の近くにいおりをむすび、長生きして極楽往生をとげたということです。


長野市の善光寺東側に位置する三輪地区には、この伝説にゆかりのある場所が点在しています。旧北国街道沿いには三輪時丸が開いたとされる三輪山時丸寺(みわさんじがんじ)があり、「ときまるでら」の名で親しまれています。近くの円通寺境内にある善光寺七塚のひとつ「時丸塚」とともに、この三輪時丸伝説を今に語り継いでいます。

また、地区の鎮守、美和神社は古く「三輪神社」と記し、大神神社と同じく三ツ鳥居をもち、大物主神を主祭神としています。このことは、大和の三輪氏がこの地に移り住んできたことの証しとされます。 善光寺信仰の神随として人々の心に息づくこの伝説は、三輪の海石榴市で善光寺の御本尊が日本との仏縁を結んだことにふれていませんが、遠く離れた三輪と善光寺が不思議なご縁で結ばれていることを感じさせるお話です。

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