三輪惠比須神社御鎮座1100年を祝う「繁昌酒」が誕生

祭礼歳時記

2026年10月14日、三輪坐惠比須神社の御鎮座1100年祭が斎行されました。

この記念すべき祭典にあわせて、三輪惠比須神社のお神酒「繁昌酒(はんじょうしゅ)」が誕生しました。地元の今西酒造にお願いして造っていただいたお酒で、当日の祭典では参列者の皆さんに記念品として授与されました。
実は、この「繁昌酒」という名前には、700年近く前の古文書に記された、中世の市立ての習俗が関わっています。

中世の市立てに配られた「繁唱酒」

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、法隆寺とその周辺の出来事を書き継いだ『嘉元記』という記録があります。その延文4年(1359)6月5日の条に、次のような記述があります。

延文四年巳亥六月五日、常楽寺市立始。如法、繁唱酒一瓶宛、座々下行。

この日、法隆寺の近くに常楽寺市という新しい市が開かれました。その市立てに際して、「繁唱酒」と呼ばれる酒が、市に参加するそれぞれの座に一瓶ずつ配られたというのです。「繁唱酒」は「繁昌酒」の意味と考えられます。新しく開かれる市が繁昌するようにとの願いを込めた、縁起のよいお酒だったのでしょう。
さらに、この日の記録には、市の神をまつる祭礼が行われ、猿楽が奉納されたことも記されています。
中世の市立ては、ただ商人が集まって売買を始めるだけではありませんでした。神をまつり、酒を配り、芸能を奉納する。市の繁昌を願う祭りでもあったのです。

市の神様、三輪のゑべっさん

三輪坐惠比須神社は、日本最初の市場と伝えられる海石榴市(つばいち)の守護神として信仰されてきました。社伝によれば、延長4年(926)の初瀬川の洪水によって金屋の地にあった市が流され、現在の地に遷座したとされています。2026年は、それから1100年という節目の年にあたります。

三輪のゑべっさんは、古く「惠美酒宮」とも記されました。
三輪といえば「うま酒三輪」。古くから酒造りの地として知られてきました。「惠美酒」という文字には、美酒を恵む神様という意味も重ねられていたと考えています。

市の神様であるゑべっさんと、酒造りのまち三輪。この二つを結びつけるのに、「繁昌酒」ほどふさわしい名前はないと思いました。

1100年祭を機に「繁昌酒」をつくろう

そこで、御鎮座1100年祭を迎えるにあたり、宮司さんに一つの提案をしました。
中世の市立てに配られた「繁唱酒」にちなみ、三輪惠比須神社のお神酒を「繁昌酒」と名付けてはどうか、というものです。地元の今西酒造のお酒に、三輪惠比須神社の御神影をあしらったラベルを貼り、神社のお神酒として授与する。古い市場の習俗をそのまま再現するのではありません。中世の記録に着想を得て、現代の三輪にふさわしい新しいお神酒をつくろうという企画です。

提案の際には、こんなお願いも添えました。
「繁昌酒ができ上がりましたあかつきには、御神前にお供えをした一番酒を、わたくしが記念に賜わり、福男の御利益にあずかれますように」
そんな冗談も交えた提案でしたが、ありがたいことに実現する運びとなりました。

今西酒造謹製「繁昌酒」の完成

こうして、地元の今西酒造にご協力いただき、三輪惠比須神社御鎮座1100年を記念する「繁昌酒」が完成しました。
300mlの緑色の瓶に、鯛を抱えた恵比須様の御神影をあしらった白いラベル。朱色の「神酒」の印が添えられています。白い化粧箱には神紋が配され、側面には、このお酒の由緒を記しました。由緒書も、今回の企画にあわせて書かせていただきました。
「この由緒にちなみ、今西酒造謹製の酒をもって三輪坐惠比須神社のお神酒『繁昌酒』と名付け、商売繁昌の芽出度きしるしとして授与いたします。」

10月14日の奉祝祭典では、この繁昌酒が参列者の皆さんに授与されました。

市の繁昌を願う酒を、現代の三輪に

中世の常楽寺市で配られた「繁唱酒」と、今回の三輪惠比須神社の「繁昌酒」。700年近い時を隔て、込められた願いは通じています。
市が繁昌するというのは、単に物がたくさん売れることだけではなく、人が集まり、出会いが生まれ、まちが賑わい、暮らしが豊かになることでもあります。
折しも三輪では、「三輪まちなかつばいち」として、まちなかに市を開き、人々が集い、楽しむ取り組みが進んでいます。

御鎮座1100年を迎えた三輪のゑべっさん。
その記念に生まれた「繁昌酒」が、これからの三輪のまちの繁昌を願う、縁起のよいお酒となればうれしいことです。


参考史料

『嘉元記』延文4年(1359)6月5日条

「延文四年巳亥六月五日、常楽寺市立始。如法、繁唱酒一瓶宛、座々下行。」

※「繁唱酒」は原史料の表記。「繁昌酒」は今回のお神酒の名称です。

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