箸中の名物「糖粽」をよみがえらせたい

ほんでみぃアカデミー

いまの桜井市箸中に、かつて「糖粽(あめちまき)」という名物がありました。室町時代から江戸時代の初めにかけて、箸中には糖粽を作って売る「糖粽座」がありました。「三輪座」とも呼ばれたようです。

興福寺大乗院の記録『大乗院寺社雑事記』には、長禄3年(1459)、大乗院方に属する四十二の座の一つとして、「アメチマキ(箸ノツカ)」の名が見えます。「箸ノツカ」は箸中、箸墓のあたりです。

明応3年(1494)ごろに成立した『三十二番職人歌合』には、「糖粽売」が登場します。中世のさまざまな職業を描いたもので、糖粽を売り歩く人の姿まで残されています。
その歌には、
「手ごとにぞ とるはしつかの 糖ちまき 花をもみわの 昼の休みに」
とあります。「箸塚」と「三輪」を詠み込んだ歌です。箸中・三輪の糖粽が、わざわざ歌に詠まれるほど知られた食べ物だったことが分かります。

16世紀前半に成立した謡曲『嵐山』にも、
「大口峠うち過ぎて、なほ行く先は橋中のあめぢ牧をもよそに見て」
と、箸中の糖粽が登場します。

さらに江戸時代初め、正保2年(1645)の『毛吹草』では、諸国の名産品を列挙する中、大和の名産として「箸中糖粽」が挙げられています。

少なくとも室町時代から江戸時代初めまで、「箸中の糖粽」は大和を代表する名物の一つだったようです。

では、糖粽とは何だったのでしょう

名前は残りました。けれども、作り方は途絶えてしまいました。
そこで、いくつかの史料をつないで考えてみます。

平安時代に編纂された『倭名類聚鈔』(931~938成立)には、粽について、「菰の葉を以って米を裹み、灰汁を以って之を煮、爛熟令むる也」とあります。米を植物の葉で包み、灰汁で煮て作る食べ物でした。
灰汁のアルカリによって米のでん粉の性質が変わります。現在でも、南九州の「あくまき」、山形県鶴岡市などの「笹巻き」、新潟県村上市の「あく笹巻き」、長崎県の「唐あくちまき」、中国や香港の鹹水粽など、よく似た製法の食べ物が各地に残っています。

ところが時代が下ると、粽の作り方も変化していきます。
室町時代、15世紀後半の『山科家礼記』を見ると、賀茂祭には「あめちまき」、端午には「ちまき」と、二つを呼び分けています。
もともとの灰汁で煮る粽に対して、新しい作り方の粽が広まり、古い作り方のものを区別して「あめちまき」と呼ぶようになったのではないか。私はそんな可能性を考えています。

「寒食の糕と端午の粽を合わせたようなもの」

もう一つ、大きな手掛かりがあります。天文22年(1553)、三条西公条が吉野へ旅した際の記録『吉野詣記』です。

箸中で名物を出された公条は、それを、「寒食の糕、端午の綜、とりぐしたる物」と表現しています。寒食の「糕」は、米などを使って作る餅・菓子の類です。
つまり、初めて箸中の名物を見た人には、「寒食の糕と、端午の粽を合わせたような食べ物」に見えたということになります。
普通の粽とは、少し違う姿や食感をしていたのでしょう。

材料と食べ方の手掛かりもあります

江戸後期にまとめられた春日若宮おん祭の記録『観音院頭屋棟梁日記』には、「アメシマキ」について、
「釜屋アメシマキ拵へ参ル事」
「アメシマキ餅米白米弐斗」
などの記録があります。少なくとも、餅米を使っていたことが分かります。

さらに、
「土器 あめちまき 三切」
という記述もあります。「三切」が何を意味するのかは、もう少し検討が必要です。
ただ、もし一つの糖粽を切り分けて供したという意味なら、できあがった糖粽は、包みを解いて切ることのできる、ある程度まとまった塊だったことになります。
『吉野詣記』の「糕と粽を合わせたようなもの」という表現とも、うまくつながってきます。

箸中糖粽は、灰汁粽だったのではないか

ここから先は、まだ仮説です。

『倭名類聚鈔』に記された古い粽の製法、室町時代に「あめちまき」と「ちまき」が呼び分けられていたこと、『吉野詣記』の「糕と粽を合わせたようなもの」という表現、そして餅米を用いたという記録。
これらを重ね合わせると、箸中の糖粽は、餅米を葉で包み、灰汁を使って煮熟した、現在の「あくまき」や「あく笹巻き」などにつながる食べ物だったのではないかと考えています。

「糖粽」という字を見ると、砂糖や飴を使った甘い粽を想像したくなります。しかし、糖粽については「あめ色になったもち米のちまき」とする説明もあります。だとすれば、「あめ」は甘味を加えたという意味ではなく、灰汁によって米が変化し、飴色になった姿に由来する可能性も考える必要があります。

ほんで、作ってみぃ

ここまで調べると、次にやってみたいことが出てきます。実際に作ってみることです。
もちろん、作ってみたものをすぐに「これが室町時代の箸中糖粽です」とすることはできません。

餅米は粒のままだったのか。挽いたり搗いたりしたのか。
どんな葉で包んだのか。
灰汁は何から取ったのか。
どのくらいの濃さだったのか。
どのくらい煮たのか。

まだ分からないことがたくさんあります。だからこそ、条件を変えながらいくつか作ってみます。
できあがったものの色、形、粘り、弾力、断面、味を比べる。そして史料に戻って、「これは『寒食の糕と端午の粽を合わせたようなもの』に見えるだろうか」「三切にして供することのできるものだろうか」と考えてみる。
史料を読んで、作って、食べて、また史料を読む。

ほんでみぃアカデミーで、そんな実験を始めようと思います。奈良の古代食・菓子の研究をされている前川佳代先生にもご協力いただき、一緒に再現実験をする計画です。
うまく再現することができれば、その先には、かつて大和の名物だった「箸中糖粽」を、現代の三輪・箸中の名物としてよみがえらせることも考えています。

およそ500年前、箸中で作られ、三輪の名とともに知られていた糖粽。
どんな味がしたのでしょう。
まずは、作ってみるところから始めます。

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