むかしの人たちは、春に花が散るころ、病気がはやると考えていました。そこで、疫病をもたらす神々を鎮め、人々が元気に暮らせるようにと行われてきたのが、大神神社と狭井神社の「鎮花祭(はなしずめのまつり)」です。崇神天皇の御代に始まったと伝えられています。
このまつりはそれから今日に至るまで、毎年祈りとともに続けられてきました。
昭和45年、上皇上皇后両陛下は大神神社をご親拝され、鎮花祭について深いご関心をお寄せになりました。昭和50年、上皇后陛下美智子さまは宮中の歌会始にて、花鎮めのまつりに寄せて次の御歌をお詠みになりました。
「三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めすと 祭りてあらむ」
(三輪の里の狭井神社のあたりで、今日もまた、花を鎮めるお祭りが執り行われていることでしょう)

鎮花祭では、薬草とされる百合根やすいかずら、桃の花が神さまにお供えされ、厳かに巫女の神楽がささげられます。「薬まつり」とも呼ばれ、薬品や医療にかかわる人々の信仰も集めています。
花とともに祈るまつり――
花鎮めの祭は、崇神天皇の時代に始められ、最も古い形の祭祀のひとつであると考えられます。のちの平安時代の律令注釈書『令義解』には、鎮花祭について「大神・狭井の二祭なり」と記されています。鎮花祭が、国家の祭祀として大神神社と狭井神社で行われていたことがわかります。
春の花とともに疫神が動き、疫病をもたらすという考えは、京都・今宮神社の「やすらい祭」をはじめ、各地の花鎮めの祭りにも見ることができます。民間にも「華鎮(けちん)」という名で広まりました。
人々の健康と平安を願う心は、古代も現代も変わりません。『令義解』に記された「大神・狭井」の地で、千年以上の時を越えて、今年も花鎮めの祈りがささげられます。
「三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも」美智子さまが御歌に詠まれたように、花鎮めの祭は、今年も変わらず三輪の里で続いているのです。


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