千本の灯りに迎える、三輪の先人たち

三輪の暮らし博物誌

――三輪惠比須神社 夜市祭

毎年8月13日の夕刻、三輪惠比須神社の境内に千本のローソクが灯されます。
昼間の境内とはまるで違う、静かな光に包まれた夜の神社。参道や手水舎のまわりを縁取るように、小さな灯りが幾重にも連なります。

これは、三輪惠比須神社に古くから伝わる「夜市祭」です。

お盆の「夜市」の記憶

三輪惠比須神社には、2月に行われる「初市(六日市)」とともに、「市」の名を残す祭りがあります。それが夜市祭です。
古くはお盆の時期になると、このあたりに人々が集まり、さまざまな品物を売買する「夜市」が開かれていました。

三輪は、古くから上街道沿いに発達した市場町です。三輪惠比須神社にお祀りされる八重事代主命は、市場の守り神として人々の暮らしと商いを見守ってこられました。

夜市祭という名前には、そんな市場町三輪の暮らしの記憶が今も残されています。

千本の灯明は、誰のために灯されるのか

夜市祭では、境内に千本の灯明が捧げられ、神事が執り行われます。その神事の中で、最初と最後に「警蹕(けいひつ)」が発せられます。「オー」という声が静かな境内に響きます。

昨年の夜市祭のあと、宮司さんにおうかがいしました。
この警蹕は、長い年月にわたって市場町三輪に関わってこられたご先祖様の御霊をお呼びし、そしてお送りしているのでしょうか、と。

宮司さんは、そのとおりです、と教えてくださいました。
八重事代主命の顕幽両界にわたる御神徳のもと、三輪の氏子や崇敬者のご先祖、そして歴代宮司の御霊を「降霊の神事」でお招きし、丁重にお慰めする。
そして神事の終わりには、「昇霊の儀」によって再び天上へお送りするのだそうです。

「昔の夜市」を記念するだけの祭りではない

そう考えると、夜市祭の姿が少し違って見えてきます。これは単に、「昔、この場所で夜市が開かれていました」という歴史を記念する祭りではありません。

夜市を開き、品物を売り買いし、家族を養い、町をつくり、三輪で生きてきた人々。その先人たちを、今を生きる私たちが一年に一度お迎えする祭りなのです。

境内を埋める千本の灯明も、単なる美しいライトアップではありません。一つ一つの小さな灯りの向こうに、この町で暮らしてきた無数の人々の営みがあります。

商いをした人。
祭りを支えた人。
家族を育てた人。
神社を守った人。
そして、名も記録も残らない多くの人々。

その積み重ねの上に、今の三輪の町があります。

町が記憶しているもの

古い町の歴史を残すものというと、古文書や古い建物、石碑、昔の道具などを思い浮かべます。
しかし、町の記憶は「もの」だけに残るわけではありません。

毎年決まった日にローソクを並べること。
神前で警蹕の声を聞くこと。
ご先祖の御霊を迎え、そして送ること。
そして、この祭りを「夜市祭」と呼び続けること。

そうした人々の行為そのものにも、町の歴史は残されています。
夜市祭は、市場町として歩んできた三輪の記憶を、現在まで伝えている「生きた文化遺産」といえるでしょう。

千本の灯りの向こうへ

夜が深くなるにつれて、千本の灯りはいっそう鮮やかになります。けれども、その光が照らしているのは境内だけではありません。
市場町三輪の過去と現在をつなぎ、この町で暮らしてきた人々の記憶を、次の時代へと手渡しているようにも見えます。

昨年、宮司さんはこんなことをおっしゃいました。
「千本灯明のやわらかな光は、町の成り立ちと先人の営みを静かに語り継ぐもの」

夜市祭の千本の灯りを見ながら、この町は、今を生きる私たちだけのものではないのだと思います。かつてここで暮らした人たちから受け取り、まだ見ぬ次の人たちへ渡していくもの。

今年もまた、三輪の夜に千本の灯りがともりました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました