今から千三百年以上も昔、持統天皇につかえた大神高市麻呂という人がいました。三輪高市麻呂とも呼ばれ、三輪に住んでいたと伝えられています。高市麻呂は、まっすぐな心をもち、学問にもすぐれた人でした。そして何より、自分のことより民の暮らしを大切にする人でした。
ある年の春、持統天皇が伊勢の国へ行こうとなさいました。ところが、そのころは田畑の仕事がもっとも忙しい季節です。天皇が大勢の人を連れて旅をすれば、道中の人々はその準備や世話をしなければなりません。
高市麻呂は天皇に申し上げました。
「今は農作業の大切な時です。旅をなされば、民を苦しめることになります」
天皇の決めたことに異を唱えるのは、たいへん勇気のいることでした。それでも高市麻呂は、民のために自分の考えを曲げませんでした。
もう一つ、こんな話も伝えられています。
ひどい日照りが続いた年のことです。田に引く水が足りません。高市麻呂は、自分の田へ水を入れる口をふさぎ、その水を人々の田へ流しました。おかげで人々の田はうるおいましたが、高市麻呂の田は水を失い、とうとう枯れそうになってしまいました。すると、そのまっすぐな心に天が感じ入ったのでしょうか。龍神が雨を降らせました。不思議なことに、雨が降ったのは、高市麻呂の田だけでした。人のために自分の田を犠牲にした高市麻呂の田に、天が水を返したのです。
『今昔物語集』は、この話を、「人は心直かるべし」と結びます。人は、心をまっすぐにして生きなさい、というのです。そして物語の最後には、高市麻呂が住んでいたのは「大和国城上郡三輪郷」であり、その家はのちに寺となって「三輪寺」と呼ばれた、と記されています。この三輪寺は、のちの大御輪寺であるといわれています。
『今昔物語集』が書かれたのは、高市麻呂が生きた時代から四百年ほども後のことです。長い年月を経ても、民のために天皇をいさめ、自分の田の水を人々に譲った高市麻呂の生き方は、物語となって残っていました。自分のことより、人のことを思う。たとえ相手が天皇であっても、言うべきことは言う。そんな高市麻呂の生き方を、三輪の人々は長く語り継いできたのでしょう。



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