第24話 宮中から出た鏡と剣

三輪をつむぐ100のお話
檜原神社(倭笠縫邑伝承地)

むかし、神鏡と神剣は、天照大神とともに天皇の住まいである宮中にまつられていたと伝えられています。

三輪にみやこがあった崇神天皇の御代のことです。天皇は天照大神の強い力をおそれ、皇女の豊鍬入姫命に命じて、宮中の外でおまつりすることにされました。このとき、宮中にあった鏡と剣も、天照大神とともに外へ出されることになりました。そして、宮中でのおまつりのために、本物を写した鏡と剣の形代が作られました。

天照大神とともに外に出た神鏡は、やがて倭姫命に受け継がれ、長い旅の末に伊勢に鎮まりました。今の伊勢神宮です。また、神剣はのちに倭姫命から日本武尊に授けられ、そののち尾張の熱田神宮にまつられました。

一方、宮中に残った形代の鏡は天皇とともに代々受け継がれ、現在の皇居の賢所にまつられる神鏡へとつながっているとされています。剣はそれから千年ほどたった源平の戦いで、海の底へ沈んでしまったということです。

三輪山のふもとから、鏡は伊勢へ、剣は尾張へ。そして宮中に残されたもう一組の鏡と剣にも、それぞれに長い物語が続いていきました。


『日本書紀』には、それまで宮中にまつられていた天照大神を、崇神天皇が皇女の豊鍬入姫命に託し、「倭笠縫邑」にまつらせたと記されています。一方、平安時代初めの『古語拾遺』は、この出来事について、神鏡と神剣を宮中の外へ遷す際、新たに鏡を鋳て剣を作り、それらを宮中に残したと伝えています。

つまり、宮中でお祀りする形代の鏡と剣が生まれたのは、天照大神を三輪の笠縫邑へ遷したときのことだったのです。

形代の鏡と剣は、勾玉とともに天皇に受け継がれ、神鏡の形代は現在の宮中三殿の賢所にまつられる神鏡へとつながるとされます。神剣の形代は平安時代末、安徳天皇とともに平氏によって西国へ運ばれ、壇ノ浦の戦いで海中に沈んだので、新たな形代がつくられたと伝えられています。

三輪山麓に伝わる倭笠縫邑の物語をたどると、伊勢神宮の八咫鏡、熱田神宮の草薙剣、そして宮中に伝わる鏡と剣へと話がつながっていきます。三輪に伝わる「元伊勢」の物語は、日本の神話と祭祀の長い歴史へとつながる物語でもあるのです。

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