第22話 やまと

三輪をつむぐ100のお話
大美和の杜から眺める大和国原

大和国一之宮大神神社境内にある大美和の杜からは、秀麗な三輪山と大和三山、二上山(ふたかみやま)など、大和の国原と青垣を一望することができます。

今の奈良県を、むかしは大和の国といいました。「大和」「やまと」は奈良県をあらわす言葉であると同時に、日本の国全体という意味もあります。

「やまと」は、もともと三輪山を中心とした一帯を指す地名であったと考えられています。三輪山のふもとには初瀬川が流れ、その水は田畑をうるおしました。そして各地から人や物が集まり、大きな力をもつ王たちの拠点がつくられるようになります。ここに、のちの大和王権へとつながる勢力が生まれたと考えられています。

日本武尊(やまとたける)は、遠く離れた東国でふるさとをしのんで歌いました。
「倭(やまと)は国(くに)のまほろば畳(たた)なづく青垣(あをがき)山隠(やまごも)れる倭(やまと)し美(うるは)し」
(大和は国のなかでももっともよいところだ。重なりあった青い垣根の山、その中にこもっている大和は、美しい)

やがて大和王権を中心とする政治的つながりは、奈良盆地から近畿地方の中心部へ、さらには本州の広い地域と四国や九州、朝鮮半島南部にまで、しだいに広がっていきました。そして「やまと」も、地域の名から国を表す名へと、その意味を広げていきました。

こうして、「やまと」は日本を意味する言葉ともなり、初めは「倭」の漢字があてられましたが、のちに「和」や「大和」の漢字が使われるようになりました。

江戸時代の国学者、本居宣長は「やまとごころ」という言葉を使って、こんな歌を詠みました。
「敷島(しきしま)の大和心(やまとごころ)を人とはば朝日に匂(にほ)ふ山桜花(やまざくらばな)」
(私の大和心とはどのようなものかと人が尋ねるなら、朝日に照り映える山桜の花のようなものだと答えよう。)

今も私たちは、日本のものを「和」と呼びます。和食、和服、和室、和歌、和菓子。そして「和」を「やまと」と読む「大和」。その「やまと」という名のふるさとをたどっていくと、三輪山のふもとに行きつきます。

大美和の杜から、青垣の山々に囲まれた大和の国原を眺めると、古代の人々が「倭は国のまほろば」と称えた風景が、今もそこに広がっています。

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