むかし、三輪山のふもとで崇神天皇がみやこをいとなまれていたころ、国にやまいがはびこり、おおぜいの人が死んでしまいました。ある夜、天皇の夢まくらに大物主さまが現れ「わが子なる大田田根子(おおたたねこ)にわれをまつらせ、酒をたてまつれ」とおつげがありました。そこで天皇は、大田田根子をさがして大物主さまをまつらせ、高橋活日(たかはしのいくひ)に掌酒(さかひと)を命じられたところ、活日はひと夜にして酒をつくりあげました。大神さまへの祭がおこなわれ、そのうたげに活日がおみきをささげて歌をよみました。
「此の神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
(このみきは私がかもしたみきではありません。日本の国をおつくりになった大物主さまがかもされたみきです。いく世までも久しく栄えませ)
天皇はけらいたちと夜もすがら酒をくみかわし、うたげを楽しまれました。するとやまいは去り、国はゆたかになりはじめました。
第10代崇神天皇はまたの名を「はつくにしらすすめらみこと」(初代神武天皇と同名)と申し上げ、三輪王朝によって我が国のいしづえを築いた天皇とされています。大物主命の祟りを鎮めるために、高橋活日に酒造りを命じ、一夜酒を大神に捧げて宴(とよのあかり)を催すと疫病が収まったという故事により、大神神社はお酒の神さま、高橋活日は杜氏の神さまとして崇敬されるようになりました。大神神社の拝殿を挟んで南側の丘に崇神天皇を祀る天皇社、北側の丘に高橋活日を祀る活日神社(一夜酒さん)が鎮座します。
「此の神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
「幾久」は、幾久しく健康で幸せに過ごせますようにという言霊で、記録に残るわが国最初の乾杯の発声と言えるかもしれません。フランス語のSanté!(サンテ)、ロシア語のНа здоровье!(ナズラドービィエ)、北欧語のSkål!(スコール)など、ヨーロッパ圏では多くの国で「健康のため」と言って乾杯する風習があるようです。相手を思いやりながらお酒を酌み交わす心は、古今東西に通じるものがありますね。
コメント