明治の初め(今から150年ほど前)、日本に外国人が入ってくるようになりました。このころ三輪をおとずれたのが、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードです。おそらく馬場先の一の鳥居あたりの宿に泊まったのでしょう。その様子を次のように書いています。
私たちが人口約1200人の町三輪に着いたのは暗くなってからだったが、入った宿はとても快適だった。宿の人々がとても親切だったし、部屋は蔵造りの二階の部屋だった。部屋からは神社巡礼で有名な神社に通じる松並木が見えた。すばらしかった。事実、巡礼者の受け入れはここ三輪の重要な活動になっているようである。ギューリック夫人が日本語を話せるので、私たちは宿の女将と最初から大変和やかに打ち解け、私たちの部屋はまもなく女将やその娘、女中、さらにはいろんな年齢の子供でいっぱいになった。この女性たちは私たちが頸までくる洋服を着ていることにとても驚いた。そしてギューリック夫人が、私たちには皆さんがしている帯のところまではだけるような着物の着方は、女性らしさや「品行方正さ」に欠けるように思われますと答えると、なおいっそう驚いた。そして女将は、違う女性が入ってくる度に、その人に向かって、このような、彼女からすると変な外国人の考え方を繰り返し伝えた。『完訳 日本奥地紀行』
イザベラ・バードは、明治11年(1878年)、約半年間にわたって日本を旅行し、『日本奥地紀行』を著しました。京都から伊勢神宮に向かう途中、11月6日に三輪で1泊し、三輪の印象として親切で快適な宿と参道松並木のすばらしい眺めを挙げています。おそらく三輪の人々にとっては初めて出会う西洋人だったのではないでしょうか。興味津々で集まってきた人たちが、服装に関する風習の違いを好奇心いっぱいに見ていたことが記されています。辛口の批評家で知られるイザベラ・バードですが、三輪の風景や人々には好い印象を受けたようです。
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