第4話 十一面観音さまのおひっこし

若宮さんとして親しまれる馬場の大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は、大物主さまの子で大神神社の最初の神主となられた大直禰子さまをおまつりしています。元は大御輪寺(だいごりんじ・おおみわでら)というお寺で、神さまと仏さまをいっしょにおまつりしていました。

このお寺の御本尊が十一面観音さまでした。奈良時代から三輪山のふもとで三輪の大神さまと一体となり、千年の時を超えて十一の顔からあらゆる人を見守ってこられたのです。

明治の初め、神社とお寺をはっきりと分けることになり、十一面観音さまを下(しも)という村にある聖林寺におあずけしなければならなくなりました。三輪の人たちは観音さまを大切に大八車に乗せ、町を進んでいきました。ちょうど初瀬川にさしかかり、三輪から出ようとしたときのことです。にわかにどしゃぶりの雨がふりだし、引きかえして雨がやむのを待たなければなりませんでした。三輪の人たちは、観音さまがなみだを流し、三輪をはなれたくないとおっしゃっているのだとうわさしたということです。


千年以上、三輪の大御輪寺で守られてきた秘仏は明治の神仏分離により聖林寺(桜井市下)に預けられました。

明治19年、岡倉天心はフェノロサとともに聖林寺を訪れ、

「聖林寺 本尊十一面観音 元ト三輪村大御輪寺ニアリ 木上ニ乾漆ヲ補ヒタルモノ 伝ニ曰ク聖徳大子ノ時代ナリ 金ハ古代ノ儘ナリ 頭少ニシテ身細シ tall Graceful type ノ初メナリ 光背台座非凡ニテ日本第一保存ノ像下カ 新発明ナリ」(『奈良古社寺調査手録』)

と記しています。予想を超える見事な仏像に、大変驚いたのだろうと想像されます。日本の国宝制度はこの「発見」がきっかけとなって作られたと言われています。

この十一面観音像は、後の時代にも多くの人々を魅了しました。
 和辻哲郎は「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ」
 土門拳は「それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた」
 白洲正子は「世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた」
と、それぞれの言葉で美しさを称えています。

三輪山信仰が生み出した美の神髄である十一面観音さまは今、高台に建つ聖林寺から三輪山を遠くに望んでおられます。

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