日本書紀より
崇神天皇の御代、国中に疫病(えやみ)がはびこり混乱を極めておりました。ある夜、天皇の夢枕に大物主大神様が現れ「我が子孫なる大田田根子(おおたたねこ)に我を祀らせ、酒を奉れ」とお告げがありました。そこで天皇は、大田田根子を探して大物主を祀らせ、高橋活日(たかはしいくひ)を掌酒(さかひと)に任じたところ、活日は一夜にして酒を造り上げました。崇神天皇8年冬12月卯の日、大神への祭が取り行われ、その宴に活日が御酒を捧げて歌を詠みました。
此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久
(この神酒は私が醸した神酒ではありません。大和の国をお造りになった大物主大神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ)
天皇と群臣(まえつきみたち)は夜もすがら酒を酌み交わし、宴(とよのあかり)を楽しみました。すると疫病は去り、国が富みはじめました。これにより高橋活日命は杜氏の神様として「活日神社」に祀られ「一夜酒さん」と親しまれるようになりました。
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