白玉屋の創業店舗がある三輪の中町の通り。南西町もそうですけど、
江戸時代以前からある大変古い道にもかかわらず、道幅が7mほどあって、当時としては広い道でした。この道は奈良から三輪を結ぶ上街道で、三輪からは初瀬街道を通じて長谷寺、さらに伊勢街道に続いていました。古くは長谷詣、近世は伊勢参宮で大変にぎわった道です。
そうですね。自動車の時代になっても、減速しながらも普通車が楽に対向できるほどの道幅があります。県内の古い町並みを残す今井や御所の街中の通りはもっと狭いですね。
過去に下水道工事か何かで中町の道を掘り返したことがありました。
その時に、三輪小学校で教えていただいた菊一先生が見にいらっしゃって、この古い通りにこんな広い道幅があるのは、ほかの市場町と同じように道の真ん中に水路があったのではないかと考え、
工事で掘り返したところに頼んで、実際に潜らせてもらい、確かめていらっしゃいました。
しかし、それらしきものは何も埋まっていなかった。
道の真ん中に水路(跡)が残る古い町は丹波市や桜井立小路、郡山など奈良県内にもいくつか見られますね。そうした通りは道幅が広い。しかし、三輪の道はそうでないのに町ができた当時からこの道幅なのですね。
長谷参り、伊勢参りの客でにぎわったために、このくらいの広さがないと交通をさばけなかったのでしょう。
なるほど、目の前にあって当たり前だと思っていた道の幅にもそうした意味があったのですね。大変興味深いです。
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